カテゴリ
はじめに 1. ファローラの女 2. はじまり 3. 洗礼 4. きっかけ 5. イシドロ 6. ニホンジンダイヒョウ 7. 雨にもマケズ 8. maleta -マレタとの出会い 9. 100ペセタのちから 10. 筆をにぎれ 11. ペインターズ チェア 12. 濃縮100%ジュース 13. 幻のお札 14. 音楽万歳 15. えみこさん 16. 人を見たら… 17. 国をでたこと 18. I am me 19. まぼろしのsweet home 20. ひたむきさの裏側 21. リュックを背負った仙人 22. ペドレラ 23. 陰 24. 道はいくつもある 25. Made in Japan 26. いつも旅行鞄を持って おわりに フォロー中のブログ
メモ帳
その他のジャンル
画像一覧
|
2009年 07月 08日
絵を描き始めるようになって2週間が経ち、そのたったの2週間で、周りの人々は、わたしが絵を描くようになった、ってことを一応認めてくれるようになった。
それと同時に、おせっかいな、もとい、親切な画家達は、こぞって同じ言葉をわたしに向かって言い始めた。 ”そろそろ椅子に座って描いたら?” そう、今では信じられないけど、はじめの頃わたしは作業を全て地面にしゃがんでやっていた。漢字を書き始めるようになってからは、画板を用意して、小学生の写生大会ように、首からぶら下げて、そこで書いた。 理由はずばり、いすを持ってくるのが大変だったからだ。 始めてからほんの数ヶ月しか経っていなかったけど、毎回の店の組み立て、店じまいはほんとに時間がかかった。その上、それを運ぶのは、かなり重くてしんどかった。 大抵の画家は、全ての荷物を預ける場所を、お金を払って確保していた。それか車で持ち運びしていた。 まだ収入の少ない私には、預け場所を確保するのはもったいなかったし、車なんて夢のまた夢だった。 じゃあ運ぶしかない。でも、運んでみてはじめて、木や紙がどんなに重いものなのかがわかった。そしてそれを上手にまとめて運ぶことが、きれいに保つ為にも、イメージの面でも、楽をする為にも、どんなに大事なことかがわかってきた。 だけど、わたしの店はあまりにも他の店と違っていて、無駄の多い大掛かりなものだった。それが魅力でもあったけど、その代償がこの大荷物だった。 ある日のことだった。 その頃、絵を描くことが止まらなくなり、もらったインクの他に、日本から持っていていた水彩絵の具を使い始め、暇さえあれば落書きを繰り返していた。 それは落書きではあるものの、人の目につく訳で、うまく行ったら即、店頭に並ぶものだった。 絵を描き始めたばかりで、それはずうずうしいんじゃないかとも思ったけど、気に入らなければ買われないわけだから、逆に買われるってことは、誰かがそれをいいと思ってくれた訳だし、他人の正直な意見を見られる意味でも、ここで絵を描くのは最高の練習だった。 それに人前で絵を描くというのは、それなりのプレッシャーもある訳で、それを気にせずに自分のやってみたいことをするというのも、とてもいい経験だった。 ぴゅうっ。 突然風が吹いた。いつもの天敵の風だった。 画板の上の絵が空に舞った。 紙はあっというまに地面に落ち、追いかけるわたしの前で、歩いて来た女の人に踏まれた。 そしてその人は、全く気がつかないまま、歩いていってしまった。 わたしはしばらくの間、無言でその紙を見つめていた。 それからゆっくり拾い上げると、絵の上にはきれいに靴底の後がついていた。 幸いなことに、地面は湿っていなかった。 丁寧に絵の上を消しゴムでこすってみると、そのあとはすっかりとれた。 そのまま絵を仕上げ、店頭に置くと、絵はその日のうちに売れた。 その翌日から、わたしは椅子を持ってくるようになった。 ”お、ディレクターズ・チェアか。プロっぽくなったじゃないか。” 周りが声をかけてくれた。 そう、絵を踏まれたのはとてもくやしかった。でも、踏んだ人に文句を言うのも変だった。 なぜなら、わたしは誰に頼まれて、道の真ん中で絵を描いてる訳でもなかったからだ。 踏んだ人は、そこに絵があることすら知らなかった。 わたしは自分の絵が好きだった。 だから、みんなにも大切にして欲しい、っていう気持ちが、面倒くさがりやのわたしの心を動かしたのだった。 #
by sidoremido
| 2009-07-08 06:26
| 11. ペインターズ チェア
2009年 07月 08日
朝の11時頃。
その大きなおなかと巨体を揺らして、いつものようにサンティがやってくる。 わたしを見つけると、 ”今日もあんたの隣にするわ。” そう言って、段ボールの箱を組み立てた。 その大きな図体には似ても似つかず、彼の売る手作りのおもちゃはかわいかった。 まず厚手の紙を丸めた中にビー玉を入れ、落ちないように両面からふたをする。フェルトを手や足や頭の形に切って、それを貼付けると出来上がり。坂の上にのせれば、ひょこっひょこっと、でんぐり返しをしながら転がってゆく仕掛けだった。 彼はそれを一日中、大きなおなかの上で転がしながら、ほしがる人に1個100円相当の値段で売っていた。 同じ動作を繰り返すのは退屈だから、彼にとって話し相手や飽きないポジションは必要不可欠。そこで、新人のわたしに白羽の矢がたったのだった。 はじめて隣に来られた時はどうしようかと思ったけど、慣れてみれば、彼はとてもいい話し相手だった。お金目的で来ているにしろ、彼には不思議なゆとりとユーモアがあったから、一緒にいるわたしも楽しい気分に慣れた。 新しいものを作るたび、彼は横に来て、黙って一部始終を眺め、出来上がると必ずため息をついて、 ”Qué lindo.....!(なんてきれい)" と言ってくれた。このlindoというのは、スペイン人はあまり使わない言葉で、アルゼンチン人の彼がそういうと、最大の賛辞に聞こえた。 彼はまた、わたしが人生ではじめて知り合ったおかまだった。 (おかまという言葉が正しいか知らないけど、他のいい方も知らないので…) でも彼の容姿に慣れてくると、女同士で話してるように気分になって来て、それはとても居心地のいい関係だったんだけど、わたしを訪ねてくる友達やお客さんによっては、なかなか彼に慣れることが出来ず、一緒にいると、ちょっとどぎまぎしてる感じが見て取れておかしかった。 このサンティをはじめとして、ランブラスの面々は、国籍も肌の色も、やっていることもまちまちの人々だった。 今回はおちはないけど、彼らのことを、ざっと紹介してみたいと思う。 More #
by sidoremido
| 2009-07-08 06:25
| 12. 濃縮100%ジュース
2009年 07月 08日
寒さに耐えた冬に終わりが来た。
羽織っていたコートを脱いで、あったかい春! 一気に街が、通りが、にぎやかになった。 人通りが増える分、自分の作った物を見てもらうチャンスが増える。もっともっとたくさんの人に知り合える。わたしは行ける限りランブラスに行って、描ける限りの絵を描いた。 張り切ってるのはよかったけど、体には知らない間に疲労がたまりつつあった。わかってはいたものの、やっぱりランブラスに向かっていく。やめられない面白さがあった。 そんな中、あの’事件’は起きた。 More #
by sidoremido
| 2009-07-08 06:24
| 13. 幻のお札
2009年 07月 08日
ぶうううううううううん。
横を通り過ぎる車の音が響く。 反対側から聞こえてくる、人々の話す声。ざわめき。 落ち葉を踏む音。何かを引きずる音。 雑音。 道は音で溢れている。 それを一日中聴くようになったからなのか、わたしは音楽にもっと興味を持つようになった。 ランブラスで働くのは画家だけじゃない。 当時から、大道芸人も数多くいた。そしてその中には優れた音楽家達もいた。 ある日の事。 仕事ではなくランブラスを通りかかると、なんとそこで本物のピアノを弾いてる人がいた。 もっと正確にいえば、ピアノとドラムと、そしてギターのバンドが演奏していた。 ギターの人はさらに、マイクで歌もうたっている。 あんな重いピアノをどうやってここまで!? 演奏してるのは、ビートルズのLady Madonna。 それをアレンジして早いリズムで歌う。 ピアノの人の手は信じられないようなスピードで動き、騒音だらけのランブラスに音が強く響き渡る。 さらにピアノにはシンバルとか複数の楽器が取り付けられてて、弾きながらそれを鳴らすという神業を繰り広げていた。 わたしは感動のあまり、そのグループが全てのレパートリーを弾き終えるまでの40分間、その場に立ち尽くしていた。わたしだけじゃない、たくさんの人たちがそうだった。 それ以来すっかり彼らのファンになったわたしは、ランブラスを通るたび、彼らを捜しては音楽に聴き入った。 日本にいた時から、生の演奏を聴いた事なんて、5本の指に入るほどしかなかった。何度聞いても、鳥肌が立つくらいわくわくする。わたしはこの時、ほんとの意味で音楽が好きになったのかも知れない。 何度も彼らに会ううちに、自然と話をするようになり、いろいろと彼らのことがわかってきた。 彼らはオランダ人で、なんと当時はこの仕事だけで生活費を稼いでるということ。3人のうち特に2人はキャンピングカーを持っていて、そこで生活してる事。 そんな自由な生き方は、音楽よりもさらに憧れを感じずにはいられなかった。 もし自分にも音楽ができたなら、彼らともっと近づけるのに。一緒に何かやらせてもらえるかも知れないのになあ… そんな夢みたいな事を考えては、ため息をついたりしていた。 そんなとき、神様の気まぐれは起こった。 #
by sidoremido
| 2009-07-08 06:23
| 14. 音楽万歳
2009年 07月 08日
ある週末の午後。
お昼を食べそびれてお腹がぺこぺこのまま、ランブラスで絵を描いていると、目の前を自転車で通るかわいい女の子がいた。目が合うと、彼女は当然のようにこちらに近づいていた。 脇にかかえている袋からは、焼きたてのパンのいいにおいがする。 “こんにちは、これ、ちょっと食べる?” いわれてびっくりした。 そんなにお腹すいた顔してたのかな? 第一身も知らない人なのに… でも、彼女は当たり前のことをしてるような顔だ。 “ありがとう、じゃあちょっとだけ。” こうしてわたしはマリベルとしりあった。 彼女は不思議な子だった。 まるでフランス映画に出てくる少女みたいに、おしゃれで、好奇心旺盛で、中身のぎっしり詰まったびっくり箱のようだった。 スペイン人には珍しく、流暢に、きれいな発音で英語やフランス語を操り、その友達も、魅力的な人が多かった。 彼女がわたしに興味を持ったきっかけのひとつは、彼女のおじいさんが日本人だった事がある。でも、顔を見てもアジアの血は全く感じられず、どちらかといえば、アラブ系の人のような、彫りの深さだった。 マリベルを通じて、わたしは新しい空気を、新しい人々を知った。 私たちは全く違うタイプなのに、いったんおしゃべりを始めると、なかなかとめる事が出来ないくらい、話がはずんだ。 わたしは彼女といるのが好きだった。 彼女は10代の時にひとりでロンドンに渡り、そこで英語を覚えながら演劇の学校に通った。 結局女優にはならなかったものの、そこで習った表現や発声の方法を私にもすこし教えてくれた。そういう世界と全く違った所で生きて来たわたしには、どの話も聞いて飽きる事が無かった。 そんなマリベルがある日、突然CDデビューする事になった。 それはまさに寝耳に水の話だったけど、その後にさらにびっくりすることが待ち受けていた。 #
by sidoremido
| 2009-07-08 06:22
| 14. 音楽万歳
|
ファン申請 |
||